クラシック・ドゥカティ。ベベル系最大のヒット作 900MHR
- 掲載日/2009年02月03日【特集記事&最新情報】
900MHRが生まれた背景
マイク・ヘイルウッドを擁するイギリスのSMC(スポーツモータサイクルズ)が1978年のマン島TTレース(TT・F1クラス)に挑戦。時速178.02km/hという当時の最速ラップを記録し、当時無敵と言われていたホンダ・ファクトリーチームのRCB艦隊を撃破して優勝を飾ったことは、レース史全体を見渡して見ても一際大きな「事件」だったと言える。
この出来事の張本人マイク・ヘイルウッドは、1960年代に世界GPをはじめとするあらゆるレースで驚異的な戦績を記録し、世界最高のライダーとまで言われた人物だ。しかし、マン島での優勝劇は第一線を退いて7年という月日が経過した38歳のときのこと。しかも、ライディングしたのはドゥカティのファクトリーマシンではなく、SMCがチューニングを施したNCR製市販レーサーだったというから驚きだ。
ドゥカティ史上最大のヒットシリーズ
「900MHR(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)」は、この偉業を記念して発売されたモデルだった。当初ドゥカティは1979年の限定モデルとして900MHRの販売を開始したが、その反響があまりにも大きかったためにレギュラーモデル化を決定。1980年台に入ってからも「量産仕様」のMHRを販売し続けることとなった。
1979年の初期型限定モデルから1984年に発表された最終モデル「1000MHRミッレ」に至るまで、毎年のように仕様変更が行われ、同じMHRでも各年式による違いは思いのほか大きい。また、生産台数は1984年までが約6000台で、1985~1986年販売の後継モデル1000MHRミッレまでを含めると総生産台数は7000台に達し、ドゥカティ史上もっとも成功したシリーズのひとつとなった。
各年式によって特長を持つMHRの系譜
このモデルには「レプリカ」の名がついてはいるものの、実は特別なチューニングモデルではない。新たに設計されたのは外装関連部品が主で、ベベルギアによってデスモドロミック機構を駆動するエンジンをはじめとして、車体なども同じ年代の900SSとほぼ共通だった。
各年代の仕様変更をざっと列記すると、1979年に発売された初期型(限定仕様)900MHRは、一体型のフェアリングにシングルシート、カンパニョーロ製ホイール(一部スピードライン製ホイール)にコンチ製マフラーを装着。1980年型ではマイナーチェンジを受け、FRP製の一体型フェアリングやコンチ製マフラーに変化はないものの、ホイールはFPS製に、シングルシートはデュアルシート後部にカバーを装着する仕様に改められた。
1981年式ではフェアリングが上下分割式に変更。1982年式はシートカウルにサイドカバーが追加され、後期となるとフレームがワイド化。キック最終仕様の1983年式となると、それまでの標準だったキャブレターのエアファンネルがエアクリーナーボックス付きに、濾紙式のオイルフィルターはカートリッジ式へと変更。同じく1983年の後期からは、新設計のセルスターター式エンジンを採用し、クラッチユニットが乾式に、シリンダーはニカジルメッキ仕様となった。
ちなみに、1985年から販売が開始された1000MHRミッレでは、ボアXストロークを86mmX74.4mmから88mmX80mmとして排気量を973ccに拡大。クランクのビッグエンドをプレーンメタル支持とするなどの改良が施され、低中速域ではシリーズ最大の粘り強さを手に入れている。
- 【前の記事へ】
デスモセディチRR ファーストインプレ - 【次の記事へ】
デスモセディチRRの作り方。DR16RRエンジン生産ライン潜入