ドゥカティ 125 マリアンナ
- 掲載日/2009年10月03日【歴史あるドゥカティを知る】
- 構成/VIRGIN DUCATI.com 編集部
タリオーニ技師の傑作「マリアンナ」に
ツインカムヘッドを搭載したクラブマンレーサー
最初にお断りしておかなければいけないが、ここで紹介するのはマリアンナとして誕生したマシンである。レースの常で、後にシリンダーヘッドが交換されている。判断が難しいが、今回はマリアンナとして話をすすめたい。
モンディアルでレーサーのエンジン設計を行っていたタリオーニは、多くのライバルメーカーから誘いを断り、ドゥカティと共に歩んで行くことを決めた。54年に新しい職場に身を置くと、すでに構想が出来上がっていた、100ccOHCレーサーの開発に没頭することとなる。ドゥカティの社長であるモンターノから与えられた指示は「レースに勝つのは当然のこと、将来は市販車として販売できなくてはいけない」であった。昨年までOHVマシン(98スポルト)が苦い思いを喫していた、モトジーロを初戦に選んだことで、開発は急ピッチで進められた。そしてレースを一ヵ月後に控えた55年3月、100グラン・スポルトが発表された。このあと約20年続く、ドゥカティシングルの礎となるモデルの誕生である。ライダー達は親しみをこめてマリアンナと呼ぶようになった。しばらくして、ボアアップ板の125グラン・スポルトが加えられた。
【左】シリンダーヘッド以外はマリアンナのエンジン。それを説明するのは難しいが、たとえばキックスターターの取り付け部が125グランプリには無いとか、ダウンチューブの補強プレートを切り取ってヘッドが乗っているなどの点が挙げられる。 【右】ボディ厚が薄い50年代以前のスミス製クロノメトリック・タコメーター。当時は信頼性の面で、これがもっとも良いとされていた。レーシングマシンならではの光景である。
総勢で10台以上ものマリアンナが参加したモトジーロでは、タリオーニさえもが驚くほどの好成績を収め、前年覇者であるラベルダに後塵を浴びせ返すことに成功した。その後もあらゆるレースでマリアンナの快進撃が続き、ついにはイタリア国内での100ccクラスが廃止さえてしまったほどである。得意だった公道レースが禁止されると、活躍の場をサーキットに求めるしかなかった。しかし、そこにいる強力なライバルに立ち向かうには、OHCエンジンでは役不足であった。そこでタリオーニは新しいヘッドを開発する。この新型ヘッドを手に入れたライダーは、その後もマリアンナで戦い続けたのであろう。
125 マリアンナの詳細写真
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