VIRGIN DUCATI | ドゥカティ 125 F3 歴史あるドゥカティを知る

ドゥカティ 125 F3

  • 掲載日/2009年10月06日【歴史あるドゥカティを知る】
  • 構成/VIRGIN DUCATI.com 編集部
125 F3の画像

50年代のドゥカティデザインを象徴する
愛らしいシングルレーサーはフォーミュラ3

マリアンナの活躍によって、イタリア中にその名を知らせることができたドゥカティは、57年に当初からの予定であった175スポルトの販売に踏み切った。そしてその数ヵ月後には、100ccと125ccモデルが加わることになる。グランプリ用マシンの開発に追われるタリオーニが、その合間を縫って完成させたこの新型車には、バルブスプリングが外から見えないまったく新しいデザインのシリンダーヘッドが搭載されていた。

グランプリの舞台ではビアルベロやデスモといったワークスマシンが次々と栄光を手にしていく中、ドゥカティはイタリア国内選手権でも手を抜かなかった。ちょうどその頃に盛り上がっていたのが、後にF3となるMSDSクラスである。MSDSとは市販されている量産スポーツマシンによるレースで、ライトなどの保安部品は付けたまま走らなければならなかった。このクラスを狙ってドゥカティから販売されたのが、175F3と125F3の2台の市販レーサーである。先に発売されているスポルトがベースだと言われているが、その中身は全くの別物。クランクケースやシリンダーヘッド、それにシリンダーやカバー類はすべて砂型による少々生産品で、中身の主要なパーツも、ほとんどマリアンナから受け継がれたレース用となっていた。

125 F3の画像

125F3の前後コニカルハブブレーキは、マリアンナとまったく同じもので、パネルとハブにマグネシウム合金が使われている。ドゥカティと同じボローニャに工場があるアマドーリ製。ドラムの内径は前後とも160mmである。

58年に登場した175F3での最初の大レースは、モンツァで開催されたイタリアグランプリ・F3クラス。大観衆が見守る中、ライバルであるモリーニやベネリを後に従えて、フランチェスコ・ヴィラが見事に優勝を手にしたのであった。この年125ccでは、フランチェスコ・クロー地が国内F3選手権で4勝をあげてチャンピオンとなった。この幸先の良いスタートが切れたことで、125&175F3はヨーロッパ中の若いライダーに認知され、しばらくの間は各地のローカルレースで活躍することとなった。

125 F3の詳細写真

125 F3の画像
55.25×52mmというボアストロークは125スポルトと同じだが、エンジンは外観も中身もほとんど別物だといえる。最高出力の13ps/10000rpmという数字は、先代のマリアンナと同じ。外されているが本来はキックシャフトも装着されていた。ミッションは4速でこれもマリアンナと同じ。
125 F3の画像
シリンダー前方とダウンチューブの下端には同じナンバーが打刻されている。ドゥカティ・メカニカの「DM」にはさまれるようにF018と打たれているが、フォーミュラ3を意味する「F」と、18番目に作られたということを表す。
125 F3の画像
これもF3レギュレーションによるもので、125F3の標準キャブはメインボア径20mmのデロルトSSI 20 Cである。この車両にはより口径が大きなSSI 25 Dが装着されているようだ。
125 F3の画像
ベリア製タコメーターの白い文字盤には14000rpmまでの数字が刻まれている。装着されているブラケットやゴムのマウントは新車時と同じものである。
125 F3の画像
ヘッドライトが付いているのは公道仕様だからではない。当時のフォーミュラ3のレギュレーションではこれが無いとレースに出場できなかったからだ。
125 F3の画像
F3純正のロングタンクは、伏せたときに腕が当たらないようにタンクの側面を凹ませている。タンクキャップもワイヤリングできるようになっている。
125 F3の画像
小さなストッパーが付いている小振りなシート。ストッパー部には予備のプラグや工具類が入れられる小物入れとなっている。それにしても良いデザインだ。
125 F3の画像
リバースコーンを長くして出口を細めたメガフォンマフラーは125F3の標準品。
125 F3の画像
凹ませた2枚の薄い板を合わせてモナカ状にしている、手の込んだ造りのチェンジペダル。この時代のドゥカティレーサーの共通パーツでもあった。

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