Paul Smart (ポール・スマート)
- 掲載日/2011年03月23日【ドゥカティ人物辞典】
ドゥカティの歴史でもっとも優れた勝利を飾った男
ポール・スマート Paul Smart(1943-)
1972年、イモラ200でMVアグスタのアゴスチーニを抑えて勝利をもぎとったポール・スマート(右)。この写真はドゥカティのカタログにも使われた。
強烈な勝利をドゥカティに
もたらしたイギリス人
イギリス人レーサー、ポール・スマートのレースキャリアのうち、ドゥカティに関するものは意外と少ない。しかしそれゆえか、彼とドゥカティの勝利は多くの人々の心に印象強く刻まれている。
彼は1964年にブルタコ125でレース人生をスタートさせたが、このマシンの信頼性は低く故障トラブル続きだった。その後ホンダに乗るようになってから、ポール・スマートの才能が開花していく。
スマートが初めてドゥカティと関わったのはこの頃で、ドゥカティ250を走らせている。その好調がきっかけとなり、ヤマハワークス125ccV4のテストライダーを務めるようになる。そして1967年マン島TTではダンストール・ノートンで2位。BSA-トライアンフのファクトリーチームを経てトライアンフ3気筒などを走らせ、着実にキャリアと勝利を重ねていく。世界GPに舞台を移すとヤマハ、シーリー・マチレス、カワサキと実に様々なメーカーのバイクを走らせて勝利を掴んでいる。
そしてドゥカティとの再会は、1972年のイモラ200レースだった。タリオーニ技師が開発したLツインデスモ750ccのテストから参加したスマートは、レース決勝でブルーノ・スパッジアーリとともに走り、MVアグスタのジャコモ・アゴスチーニを蹴散らして優勝する。これが世界中のオートバイファンに強い印象を与え、ポール・スマートとドゥカティLツインデスモの名が人々の心に刻まれたのである。
この勝利に歓んだドゥカティのトップ、フレマノ・スパイラーニは優勝マシンをスマートに寄贈した。現在、このマシンはドゥカティ本社にある博物館『MUSEO DUCATI』に展示されている。
1ヵ月後には500ccLツインデスモを走らせ、キャブ脱落というトラブルに見舞われながらも4位。同年のギリシャGPではワークス750を走らせて優勝した。
その後一度はスズキに移ったスマートだったが、1975年にクラッシュして重傷を負った後、ドゥカティに戻りショートストロークのワークス750でイモラ200を走ったがここでもクラッシュ、これがきっかけとなりスマートはレース人生を終えることになった。
ハングオン・スタイルが特徴のポール・スマートのライディング。ゼッケン16はイモラ優勝時のもので、スマートの歓びもひとしおだった。
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