ドゥカティはバイクメーカーではなかったと聞きました。本当でしょうか?
- 掲載日/2009年04月10日【ドゥカティQ&A】
1926年、ボローニャに発足した「ドゥカティ・ラジオ無線特許科学会社」が
ドゥカティの前身です。
ラジオの製造から始まった
ドゥカティの源流
1926年、イタリア中央部アルペン山脈の麓の街ボローニャで、アドリアーノ・ドゥカティティとマルチェロ・ドゥカティの兄弟が小さな会社を設立しました。当時のイタリアはラジオブームの真っ最中で、ラジオ製造を目的としたその会社こそが現在のバイクメーカーとしてのドゥカティの源流です。「ドゥカティ・ラジオ無線特許科学会社」という名前を持つその会社は、ムッソリーニ政権下で農業国から工業国に転換を図ろうとする時流に乗り、創業から13年立った1939年には従業員7000人の大会社に成長しました。しかし、ドイツと連合を組んでいたイタリアは第二次世界大戦でたびたび連合国軍からの攻撃にさらされるようになり、劣勢の中政権は崩壊。ドイツの協力のもと、ムッソリーニがボローニャに逃げ込んだため、ドゥカティの工場も連合国軍の攻撃により甚大な被害を被りました。
ようやく戦争が終結した1945年当時、ドゥカティに残っていたのは労働力だけだったと言われるほど工場は破壊されていたようです。しかし、軽工業の熟練工集団であったドゥカティはイタリア国内で高い評価を受けていたため、戦後の復興を支援する目的で発足した産業復興公社(IRI)の出資を獲得することに成功したのです。
ドゥカティが精密なカメラ製造を可能とするほど高度な製造技術を持っていたからこそ実現したデスモドロミック。
1946年に開始したエンジン製造
バイクメーカーとしての歴史はここから
IRIの管轄となり、多くの従業員を抱えるドゥカティは小型カメラの製造を手がけるようになります。この事業自体はあまり上手くいかなかったようですが、精密なメカニズムを持つドゥカティのエンジンとの関連性をうかがわせるエピソードと言えるでしょう。ちょうどその頃、イタリア自動車産業の中心地トリノでは、後にスポーツカーのチューニングなどで有名になるシエタ社が、クッチョロという排気量48ccの4ストロークエンジンを搭載した小型バイクの生産を開始。燃料1リットルで100kmも走ることができたこのバイクは、復興を目指すイタリア国内で大ヒットしましたが、需要に生産が追いつかないという事態に直面。シエタ社はクッチョロのOEM生産の受け入れ先を探しはじめ、これをドゥカティが引き受けたのです。
こうして、ドゥカティは1946年にクッチョロのエンジンを生産することになりました。そして、翌年の1947年にはクッチョロの販売権を獲得し、1949年には累計生産台数も6万台に到達。エンジンの供給先を拡大する一方でクッチョロの60cc版であるT3の生産も開始するなど、バイクメーカーとしての歴史を歩み始めたのです。
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